ラブ・ライフハック

二人で豊かで自由なラブラブ人生を送るための試行錯誤の記録、雑多な日記

【ハルの読書日記】泣かない子ども/江國香織

 

6月16日(日) 曇り

 

泣かない子ども/江國香織 を読んだ。

 

 

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読み終わらない小説、というものがいくつかあって、

例えばサン・テグジュペリ星の王子さま」。

それからこれも、そのひとつだった。

 

もちろん終わりはある。

最後の一ページもちゃんとある。

だから正しくは、読み終わってもそこから解放されないもの、うまく抜け出せないもの、と言った方がいいのかもしれない。

 

これは、理解ができないのとは違う。

理解という概念など何の役にも立たなくて、

ここにある言葉を、肌で感じ心で消化できるかどうか。

 

これに関して、私は、よすぎて消化不良を起こしてしまった。

ゆえにまだ、この小説を読みつづけている。

 

その消化不良というのはどれほどかというと、

馬鹿馬鹿しいほど、江國香織の本しか読めないのだ。

私はこの人の本で”言葉を知り”、解放され、そして、それはカタルシスであり快感であり、救いなのだった。

 

この『泣かない子ども』はエッセイで、

そのなかの『ラルフへ』を読んで、思ったことがある。

これはラルフという彼女の友人へ宛てた手紙で、当時二人が一晩中語り合った「不倫」というものについて、書かれたものだ。

 

その一節に、こういうものがある。

 

『あのね、ラルフ。私は、奧さんには奥さんの特権があると思う。(中略)ただ、反対に恋人には恋人の特権がちゃんとあって、役柄をとりかえるわけにはいかないけれど、どっちにもそれぞれの存在価値があるはずだと思うのです。ごはんとお菓子みたいにね。』

 

私は、恋人の、ごはんにもお菓子にもなりたい、と思う。

欲張りだけれど、そう思う。

 

また、こういうものもある。

自分は結婚したら、奥さん以外の女性と恋など決してしない、という独身の友人との会話で、

「要するに、意志の問題だと思う」

これに対して彼女は、怖い、と言うのだ。

 

「結婚して何年ものあいだ、自分の夫が他の女性と一度も恋をしなかったとして、それが彼の意志の力なのだと思ったら、自分の存在の意味を疑わずにはいられないでしょう? この人が毎日ここに帰ってくるのは、意志が強いせいであって、私を好きじゃないのかもしれないってー」

 

でもーー。

意志の強さを左右するのは、紛れもなく愛なのではないだろうか。

(動悸がしていたから、そう思いたいだけかもしれないけれど)

もしそうなのだとしたら、この人が今日もここに帰ってくるのは、彼の心に広く逞しく揺るぎなく、愛という根が張っているからなのだと、思えないだろうか。

それをこの人と育んできたのは私なんだと、喜びに打ちひしがれないだろうか。

誰にも侵すことのできない時間、人生の共有という奇跡。

それをもってして彼の意志があるのだとすれば、こんなに誇らしく、幸福に泣きたくなるようなこと、ないと思う。

奥さんの特権というのはそういうのだと、私は思いたい。

 

江國さんは本書のなかで、自分が「恋愛を過信している」のだと言っている。

そうして私も、彼女とはべつの視点から、また随分と恋愛を過信しているのだと思う。

ここはとても共感できた部分なのだけれど、それならそれで、『とことん過信しようと思う』のだ。

 

愛すると決めたから愛するのだと、それでいて、愛さずにはいられないから愛するのだと、狂ったように信じていたい。

 

 

ハル